メディア論とは?情報社会に生きるために大切なこと。

f:id:daikeiobachan:20170406234659j:plain

先日「大人のためのメディア論講義(石田英敬著)」を読みました。”大人のための”と題してありますが、メディア論初心者には偏り無く読みやすい本だと思います。

ところでメディア論って何ですかね?

僕は最初に言葉だけ聞いた時は「マスメディアのことかな」とか思ってたんですが、それとは違います。その辺のとこもまとめて本の内容とか感想とかつらつら書いていきますね。

メディア論とは?

メディア(Media)っていうのはミディアム(Midium)に由来していて、つまり「中間体・媒体」って言う意味です。

たとえば本というのは文字情報を伝達する”媒体”ですからメディアの一つです。テレビも映像・音声情報を伝達するのでメディアですね。

よく言われる”マスメディア”もネタを大衆に伝達しているので”メディア”とついているんですね。

つまりメディア論とは、情報を伝達している媒体の変遷やあり方、あるいは今後の実装の展望などのあれそれを考える学問です。

なんか難しそうですかね。でもこの本はわかりやすく書かれていると思いますよ。あんまり本を読まずに育ってきた僕でも結構咀嚼できましたから。(と自分では思っています)

本の内容

本の章立てはこんな感じです。

  • メディアと〈心の装置〉
  • 〈テクノロジーの文字〉と〈技術的無意識〉
  • 現代資本主義と文化産業
  • メディアの〈デジタル転回〉
  • 「注意力の経済」と「精神のエコロジー
  • メディア再帰社会のために

まあ見出しだけ見ても単語の定義とかわからないことが多いと思いますから、簡単に説明してみます。

心の装置

まず”心の装置”とは、人間が頭で考えていることを書き表すための装置です。本の中でも例に挙がっていますが、ちっちゃい子のおもちゃで、ペン先が磁石になっていて、描画すると砂鉄か何かが引っ張られてかくことができるみたいなのありましたよね。こんなやつです。

f:id:daikeiobachan:20170406224336j:plain

https://www.amazon.co.jp/Wishtime-大きい40-おえかきボード-おえかきセット-マグネットスタンプ4枚(色指定不可)/dp/B0107NV224より引用)

で実はこれに似たような機構のお絵かき盤みたいなのが昔からあったんです。それは粘土板のようなものの上にパラフィン紙があって、それをなぞると粘土板がパラフィン紙にくっついて跡になって、書くことができるみたいな感じらしいです。

でその時代にフロイトっていう偉大な哲学者がいるんですけど、その人がこれは心の装置だ、と言ったんですね。

なんだよそんなの紙のメモと一緒じゃないかって言われそうなんですけど、フロイトは黒板も引き合いに出した上で、この磁石のやつはそれらとは違うと考えた。こっからはちょっと複雑になるんですけど、ざっくり書くと、

  • 紙のメモは有限(一定量しか記憶できない)
  • 黒板は書き直しができるけど消したら戻らない(忘れてしまう)
  • 心の装置は消した跡でも粘土板に跡が残っている!
  • これは人間の意識の仕組みにとても似ている!

てな感じで後半二つがちょっと無理やりな気もしますが、フロイトからすると、人間の意識をうまくモデル化してるじゃん!ってことみたいです。

テクノロジーの文字と技術的無意識

長くなりました、次に行きましょう。

テクノロジーの文字っていうのは、人間が知覚している世界をテクノロジーが(カメラとかマイクとかで)読み取って、人間には読めない文字(これがテクノロジーの文字、つまりデジタルデータのこと)で記述しているってことです。

技術的無意識っていうのは「見えないから見える」とも言われるんですが、例えば一般的な動画のフレーム数って30〜60フレーム毎秒とかですけど、人間ってこの一コマ一コマを知覚することはできないですよね。だからこそそれらが連続して見えて”動画”に見えるんです。これが「見えないから見える」です。そういう事実を人間ってもはや意識していないよね、っていうのが技術的無意識です。

現代資本主義と文化産業

まず当初の(現代と付かない)資本主義っていうのは(ちょっと冗長な言い方ですが)生産のみを作り出していたんです。

でも文化産業(映画とか)の発展によって、「あーこんな映画みたいな幸せな暮らしをしたいな」的な思想がある程度の人数に普及します。これらによって生み出される、すなわち現代資本主義というものは生産と同時に消費も作り出します。

つまり上の「」の中に書いたような理想像とかそういうものが、購買者の感情に働いて(当時で言うと映画に登場する家族像のように車を買ったりとか)消費に繋がるんです。生産すると同時に、それを消費させようとする働きかけも同時に行うような社会、それが現代資本主義であって、そこには文化産業の発展が大きく寄与しています。

これらの動きは主にアメリカのハリウッドによって生まれました。

デジタル転回

すいません、本一冊を一記事にまとめるのはちょっとむずすぎました、半ば諦めてますが、どうかもうしばらくお付き合いを。

デジタルの前はアナログでした。これらの決定的な違いは、「0と1で表されるか否か」です。

アナログメディア、たとえば写真だと、そこに映っている情報(人物なり風景なり)はもはやその写真からは取り出せません。アナログメディアにおいては、情報はメディアに固定されているんです。

でもデジタルだとすべての情報を0と1に書き換える。画像も音声も文字も、すべてコンピュータ内部では0と1で処理される。そうするとどうなるか。デジタルメディアにおいては、情報はメディアに拘束されません。情報はメディアから開放されるんです。つまりさっきYouTubeで見たあの動画は、ともすると渋谷の大きな電光掲示板でも流れているかもしれない。情報が完全にリベラルになったんです。これがデジタル転回。

注意力の経済と精神のエコロジー

注意力の経済っていうのは、最近よく言われる”情報過多”みたいな感じです。

情報が経済に占める割合、つまり情報を扱うことによって生まれるお金って現代社会においては計り知れないです。一昔前まではそんなことなかったのに、今では情報による熾烈な戦いが繰り広げられている。

この場合に情報(を扱う売り手側)が求めるのって、我々消費者の”注意力”なんです。

つまりいかに適切な位置に広告を打つかにすべてがかかっている、と言っても過言ではありません。それくらい沢山の情報が、私たちの”注意力”を巡って争っている。”注意力”を勝ち取ったものが経済的な勝者になる。そんな経済が「注意力の経済」です。

精神のエコロジー(生態)っていうのは、そういう有り余る程の情報を消費者側が適切に扱って、あるべき精神活動のかたちを考え直そうよっていう動き(?)のようなものです。

メディア再帰社会

ここでの再帰っていうのはリフレクト、つまり”反省”を意味します。

誰が反省するのか?それはコンピュータ自身です。

Amazonのおすすめ商品をレコメンドする機能がありますが、あれも”反省”によるものです。

つまりメディア再帰社会とは、人間の言動・行動をコンピュータが読み取り(反省し)フィードバックする社会です。

これには先程述べたデジタル転回が関係しています。すべての情報が0と1で扱えるようになったことで、全部を平均化して扱えるようになりました。つまり全てを統計的に処理することができます。これによってコンピュータがフィードバックを行えるようになりました。

この章では、そんな社会においてどうするべきか的な感じでシメてます。てな感じでとりあえず一通り書いてみた。(ここまで3000字超、長すぎ)

感想

もともとこの筆者が人文系の出身なので、わりと哲学的な感じで終始しつつも、テクノロジーのことも押さえられていて心地いい感じです。

メディア論と言うと、実は偉大なマクルーハン先生がいるんですが、どうやら最初からマクルーハンの本は難しいみたいなので新書程度からということで読みました。結果的に良かったと思います。メディアの歴史について一通り追える感じです。

僕はわりと人工知能議論に関しては諦観が強め(なるようになるさ的な)なので、わりと落ち着いて読めましたが、そうでない人は読んでいて心が落ち着かないとこもあるかも。結局Googleっていうのは利潤で動いている”企業”ですから、それ自体結構ヤバいんですよね。こんなに公的なシステムを扱っているのが民間企業なわけです。

僕は今まで文系食わず嫌い人間で、新書を読むことに対しても、具体的な進歩を感じられない(自分が成長しているかわかりづらい)という理由で敬遠していましたが、それを砕くいいきっかけにはなったと個人的には思います。

ということでリンクを貼っておくので興味があったらぜひ!