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チームラボの作品から感じた”境界線”に関するおはなし。

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チームラボというアーティストグループがあります。

主にデジタルアートを中心とした、空間インスタレーション作品や、映像作品など、数多くの美術作品を作っています。

今回は、チームラボのとある作品に対して、僕が実生活の中で感じたことについて書きます。

境界線の偶然性

チームラボの作品の一つに「境界のない群蝶」というものがあります。

https://www.teamlab.art/jp/w/butterflies/

  • 蝶々がコンピュータによってリアルタイムに描画される。
  • 蝶々は私たちのアクションに対して、リアクションをする。
  • 蝶々は周囲に展示されている別の作品にも自由に行き来する。

僕が面白いなと思ったのは3つ目です。「他の作品にも往来する」というのは、近代までの絵画などでは勿論、現代美術においても、あまり馴染みのない試みだと思います。

「作品同士の境界線は如何にして成立しているか?」という問いを投げかけています。

絵画であればそれは”額縁”の役割になります。額があることで、その作品は”ここからここまで”なんだということが直感的に理解できる。また額それ自体にも相応の価値があり、収められる美術作品によって、展覧者が額縁を選りすぐる。

でもデジタルアートなどの現代美術においては、もはやそれは必然ではありません。更に今後は、メディアが質量を失っていく。それはつまり、ホログラムなどによって、空間に”媒介を必要とせずに”情報が投影される。このような時代には境界は成り立たないかもしれない。

これはアートに限った話ではなく、例えば国と国の境目、”国境”にも通じるものがある。民族が生まれ、社会が成立し、規範によって整頓され、政治的・文化的背景などの下に、国境というものが作られた。

平たく言えば、グローバル化に近いです。国境というものを、あまり固執して考えなくても問題ない時代になるかもしれない。

ちょっとこれは妄想的でもありますが、紙の地図はなくなって、常に国境線(のようなもの)がリアルタイムで変動していく。それは各国の情勢によってフラクチュエイトする為替のように。「あ、アメリカがちょっと南に広がった」とか、そういうことになるかも。

ゴミ箱のおはなし。

ここからは僕の日常のおはなし。

僕の家のリビングには、部屋の中央の辺りにゴミ箱が一つ置いてある。

それに対して、ティッシュ箱は二つ。一つは食卓の上。もう一つはテレビの近くのローテーブルの上。

ローテーブルの上の方のティッシュで鼻をかむ。

ゴミ箱までは大体2〜3メートルといったところ。でも僕は今こたつに入っているので、なかなか手も届きそうにない。

「丸めたティッシュをゴミ箱に投げて入れる遊び」をやる。

外れた。

床に転がった鼻かみティッシュ。ここでふと思った。

「あれ、これ、入ってんじゃね?」

ゴミ箱には二つのタイプがある。蓋があるものと、そうでないもの。

僕が今ターゲットにしていたのは、蓋のないタイプのゴミ箱。

蓋がない。じゃあ、”どこからどこまで”がゴミ箱なんだろう。

「もしかして、この空間も全部ゴミ箱なのかな?」

その瞬間、床に落ちている鼻かみティッシュを、僕はそのままにした。

境界線って何だろう?

私たちは無意識のうちに、様々な境界線を認識して、区別しています。それは必ずしも物理的に目に見えるものだけではありません。

5人の人間が横一列に並んだ時、3人目と4人目の間に少し間があれば、私たちは無意識のうちに、3人のグループと2人のグループを意識する。

これはあまりにも無意識に行われているために、改めて考えてみると、ものすごい違和感を感じる。

人間は空気を読むことがとても上手である。明確な線引きがなくても、物事をある程度一般化したり、類別化したりして処理していく。このプロセスを考えることは、コンピュータの認識能力の向上のためにはとても重要なことです。

まとめ

どうでしょうか。ゴミ箱の話なんかは、割と身近で考えやすいきっかけだったと思います。人間の認知能力はかなり優れているんだということを、改めて実感する機会になれば幸いです。

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