創造的な発想のためには学際的な思考が必要になるという話

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僕は大学でメディアやアートについて勉強しているんですが、自分で何かしら作品を作ろうとした時に、その作品に関係する物事の背景を知っているかどうかで、その作品の持つ”深み”のようなものが変わってくると思います。

というわけで、美術史について勉強しようと思ったんですが、「歴史わかんなすぎ」という事態に陥りました。中高生の時に(なんなら小学校でも)歴史の授業をまともに受けてなかったので、全然わからないんですよね。

今回は”学際性”に焦点を当てて、歴史を真面目に勉強してみようという(自分に向けた)自己啓発的なお話です。

学際性とは?

学際性とは「一つの学問分野にとらわれず、学問横断的に物事を考える」ということです。ではなぜそのような考え方が必要なのでしょうか?

ここで、あくまでも個人的な考え方ですが、ざっくり言ってしまえば、「文系学問は後ろを振り返る学問、理系学問は前に進む学問」であると思います。

これらはどちらも、双方に作用しあって、私たちの生活をより充実したものにするために必要な思考活動です。

つまり、前に進むだけでは、必ずどこかで壁にぶつかる、その時に後ろを振り返ってみることで何かヒントがあるかもしれない。しかし後ろを振り返っているだけでは、当然前に進むことはできない。前に進むためには何か新しいものを考えていかなければならない。このように二つの大きな分野枠というのは、どちらも必要不可欠なものです。

では学際性に戻って考えてみましょう。

たとえば、ヒトクローンについて考えてみます。生物学のプロフェッショナルと倫理学のプロフェッショナルが話し合いをする。仮にこの二人が、お互い相手の専門とする学問について全く何の知見もなければ、おそらくこの議論というのは成り立たないでしょう。

つまり、プロフェッショナルとはいかないまでも、お互いに”学際的な思考”を持つ必要があるんです。生物学者であっても、人間の生命倫理についての考えを持っている必要がある。倫理学者であっても、ある程度は、ヒトクローンに関する技術開発について把握している必要がある。このように学際性とは”学際的な問題”を議論し、解決するために必要なものなんです。

文系も理系も関係ない

以上の話を理解していただければお分かりだとは思いますが、現代において、文系と理系という分け方は、教育の体系化以外には、実用的な意味はほとんどありません。

文系の知識だけでは、あるいは理系の知識だけでは解決できないような問題が、現在私たちの周りにはたくさんあります。そしてそのような問題に立ち向かう際に、各分野のプロフェッショナルが話し合うのももちろん大事ですが、それを取り巻く、司会者のような役割としても、学際性のある人というのはとても重宝されると思います。

僕が歴史を勉強する理由

これは個人的な話になりますが、僕は基本的には”理系っぽい”人間です。

まだ大学生ですし、将来的にどのような進路に進むかはまったく検討もつきませんが、一応今までのところは、理系の学問を好んで勉強してきたと思っています。

ところで僕は歴史が大嫌いです。無論、最近では歴史を勉強する機会もないので、好きか嫌いかもあまり実感できませんが、あまり好きな方ではないと思います。

ですが僕は”美術史”を勉強したいと思い始めました。メディアやアートについて勉強していて、何か自分で作品を作ろうと思った時に、背景知識というのは作品のクオリティに直結しますから、美術史を勉強するのはとても有益なことだと思います。

ところが美術史を勉強しようとしても、今までも基本的な歴史の知識が全く抜け落ちているので、美術史についても上手く飲み込めないなと思ってしまったんですね。だから僕は「一から歴史をやり直そう!」と思ったんです。

まとめ

学際的な考え方というのは問題解決だけでなく、芸術表現における”問題提起”においても、かなり有効な手段だと思います。

また歴史については、いい本があったりしたらそれもまた追々ブログに書いていければと思います。

以上、授業中の教室から書いてみました。(眠くなって寝ちゃうくらいなら、後ろの方の席でブログを書いてみた)

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